2018年9月30日、沖縄県知事選の投開票があり、玉城デニー氏(58)が初当選されました。
翁長前知事の死去に伴う沖縄知事選で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)移設を推進するか、阻止するかが最大の争点となった選挙でした。
故翁長前知事の後継者で辺野古移設反対派の玉城デニー氏は、自民党や公明党などの推薦を受けた推進派の前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)に、8万票超の大差をつけて完全勝利しました。
玉城デニーという名前、もしかしたら以前耳にしたことがあるかもしれません。
この名前、本名なのかニックネームなのか、見た目からハーフなのか、これまでどんな経歴があるのか、調べてみました。
1.玉城デニーって本名?
結論から言うと、玉城デニーは本名ではありません。
本名は、「玉城 康裕(たまき やすひろ)」です。
なんとも普通の名前でしたね。
玉城デニーの方がよっぽどインパクトがあって覚えやすいです。
では、なぜ「玉城デニー」と名乗っているんでしょうか。
これは、玉城氏がハーフかどうかにも関係していきますので、合わせて解説します。
結論から言うと、玉城氏の父親は沖縄の米軍基地に駐留していたアメリカ兵で、母親は日本人なのでハーフということになります。
見た目も純粋な日本人顔ではありませんよね。
まだデニー氏が母親のお腹の中にいるときに父親はアメリカに帰国しました。母親は、先に帰国した夫の元へ行くことを前提に、「デニス」と名付けましたが、周りに説得され結局アメリカには渡りませんでした。
そして玉城氏が小学校4年生のときに家庭裁判所に申し出て「康裕」に改名したため、現在の本名は先ほども述べたとおり「玉城康裕」なんですね。
「デニー」というのは子供のころの愛称だそうですが、これまでの経歴の中でも「デニー」と名乗っています。
インテリアの営業をしていたときに、名刺に「玉城康裕(デニー玉城)」と書いたところ、お客さんに「デニーさんの方が顔と名前が一致する」と言われたのがきっかけのようですね。
2.玉城デニー氏のこれまでの経歴
玉城デニー氏の沖縄県知事に当選する前の職は、衆議院議員でした。衆議院議員4期目の途中で沖縄県知事に立候補を表明したというわけですね。
それでは、簡単に玉城デニー氏の経歴をご紹介します。
●1959年10月13日、沖縄県与那城村(現:うるま市)に生まれる。
●地元の小学校、中学校、高等学校を卒業後、上京して上智社会福祉専門学校へ入学、20歳で卒業。
●沖縄に戻り、福祉関係の臨時職員を2年。インテリア内装業、コンサート運営会社、音響・音楽関係の会社で働く。その間、24歳のときに結婚。
●30歳のときにタレントとして独立。琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティや結婚披露宴の司会などをこなす。
●2002年、42歳のときに沖縄市議会議員に初当選。
●2005年、当時の民主党から衆議院議員に立候補し、落選。
●2009年、49歳のときに衆議院議員に初当選。
●その後、2012年、2014年、2017年衆議院選挙で当選。玉城デニー氏は自由党(2016~)の幹事長兼国会対策委員長を務める。
●2018年9月13日、沖縄県知事選への立候補届出により、衆議院議員を退職(自動失職)。
●2018年9月30日、沖縄県知事に当選。(公選知事として第8代)
タレント時代は、白いTシャツにジーンズが定番だったそうです。
今ではスーツでビシッとされていますが、ラフな格好でも似合いそうですよね。
また、ラジオのパーソナリティをやっていただけあって、さすがに演説は上手ですね。
余談ですが、英語はほとんどしゃべれないそうです。本人曰く「中学卒業英語くらいもしゃべれないかもしれません」と。
まとめ
玉城デニー氏の本名、ハーフか否か、経歴についてご紹介しました。
簡単にまとめますと、
公選第8代沖縄県知事:玉城デニー
本名:玉城康裕(たまきやすひろ)
両親:(父親)アメリカ人、(母親)日本人
※英語はほとんど話せないそうです
経歴:上智社会福祉専門学校卒業
30歳でタレント活動
42歳で沖縄市議に当選
49歳で衆議院議員に当選
58歳で沖縄県知事に当選