2018ロシアワールドカップを2か月後に控え、前日本代表監督ハリルホジッチ氏が電撃解任され、日本サッカー協会技術委員長を務めていた西野朗氏が新しい日本代表監督に就きました。
このタイミングでの監督交代はあまり世界でも例がないらしく、ワールドカップ本大会は大丈夫かと不安になっている方も大勢いるかと思います。
外部から新監督を招へいする時間もなく、協会内部からの人選だったようですが、西野監督も技術委員長として責任を感じていたんでしょう。なかなかこの泥舟?に喜んで乗るような監督は現れませんよね。
そんな西野監督ですが、監督としては実はすごい経歴の持ち主なんです。1996年のアトランタオリンピックで日本五輪代表がブラジル五輪代表を1-0で下した「マイアミの軌跡」のときの代表監督だったんですね。また、その後Jリーグの柏レイソルやガンバ大阪などでクラブ監督を務め、Jリーグ通算270勝は歴代1位となっています。
それでは西野監督の人物像、選手経歴、監督経歴を詳しく見ていきましょう。
1.西野朗氏とは(人物像)
生年月日は1955年4月7日なので、2018年4月14日現在で63歳ですね。
身長は182cm、体重は72kgです。意外に身長あるんですね。
出身は埼玉県浦和市(現さいたま市)となっています。
もともとサッカー選手だったそうですが、監督になってからしか知りません。初めて表舞台で僕が見たのは、22年前のアトランタオリンピックで日本五輪代表を指揮していたときですね。色黒でスマートな感じでしたが、63歳になった今現在も雰囲気は全然変わりません。
2.選手としての経歴
埼玉県立浦和西高校から早稲田大学教育学部に進学して、大学のサッカー部「ア式蹴球部」に所属。この一風変わった名前の「ア式蹴球部」は、1924(大正13)年の創部以来、大学のサッカー界を常にリードし、数々の日本代表を排出してきた名門中の名門です。
西野朗氏も、ア式蹴球部に所属しながらMFとして日本代表に選ばれています。
大学卒業後の1978年に、日立製作所に加入し日本代表にも選出されましたが、その後は精彩を欠き、一度ベストイレブンに選出されるなど復活したものの、1990年に現役を引退しました。この時代に35歳まで現役でやっていたのはすごいですね。
3.監督としての経歴
現役引退後は、監督としてのキャリアをスタートさせます。
1993年には、アトランタオリンピック出場を目指すU-23の日本代表監督になり、1996年に28年ぶりとなるオリンピック出場を果たします。この時若干41歳、監督としては随分若いですね!
◆マイアミの軌跡
1996年のアトランタオリンピック本大会のグループリーグD組第1戦で、日本五輪代表がブラジル五輪代表1-0に勝利した試合を通称「マイアミの軌跡」と呼んでいます。
このときの日本五輪代表監督が西野監督だったんです。
これは一番の大番狂わせで、世界中が驚きました。日本は後にフル代表で活躍する中田(英)やGK川口を擁していましたが、力の差は歴然でした。終始防戦一方でしたが、川口の神がかり的なセーブにより何度もピンチを跳ね返すと、日本が左サイドから上げたクロスに反応したブラジルのDFとGKがぶつかり、こぼれたボールを伊東(輝)が押しこむというラッキーゴールにより、見事勝利を収めたものです。僕も当時テレビで見ていて非常に興奮したのを覚えています。
◆Jリーグ監督通算勝利数270勝は歴代1位!
柏レイソル時代(1998~2001)
アトランタオリンピック後は、1998年に柏レイソル(前身は西野氏自身が所属していた日立製作所)の監督に就いています。そしてその翌年1999年にはナビスコ杯を優勝に導き、クラブ初、西野監督初のタイトルを獲得しています。
2000年には優勝こそ逃したものの2ndステージ2位という好成績を残し、Jリーグ最優秀監督に選ばれています。
2001年は一転成績が振るわず、1stステージ6位という成績に終わり監督を解任されました。厳しい世界ですね。
ガンバ大阪時代(2002~2011)
そして2002年から監督に就任したガンバ大阪では西野劇場が幕を開けます。
タイトルと無縁だったガンバ大阪を強豪チームに押し上げ、2011年にガンバ大阪を去るまで7つのタイトルを獲得しています。
2005年 | J1リーグ優勝(ガンバ大阪初) | Jリーグ最優秀監督 |
2007年 | ナビスコ杯優勝、スーパーカップ優勝 |
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2008年 | 天皇杯優勝、パンパシ2008優勝、ACL2008優勝 | アジア最優秀監督 |
2009年 | 天皇杯優勝 |
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この他、タイトルを逃した2006年は天皇杯準優勝、2010年はJ1リーグ2位となるなど常に優勝争いに絡んでいました。
ガンバ10年目を迎えた2011年は2年連続無冠に終わり、ガンバから契約満了を通告され事実上の解任となっています。
ヴィッセル神戸時代(2012.5~2012.11)
2012年の5月にヴィッセル神戸の監督に就任したかと思いきや、同年11月には成績不振により解任されています。19試合中5勝にとどまっています。
名古屋グランパス時代(2014~2015)
この時代は故障者続出の不運もあり、2014年は10位(34試合中13勝)、2015年は9位(34試合中13勝)と成績が振るわず、契約期間満了により退任されています。
通算試合数と勝利数
これらのJリーグ監督時代の通算試合数は524試合。そのうち勝利が270勝、引き分けが91試合、負けが163試合となっています。
通算勝利数は270勝で歴代1位となっています。勝率は51.5%ですね。
4.日本サッカー協会に入閣
2016年には、日本サッカー協会が新体制となり、田嶋副会長が会長に就任するとともに、西野氏が理事及び技術委員長に就任しました。西野氏より2歳年下の田嶋会長は、西野氏に選手時代からかわいがってもらって、これまでも一緒に仕事をしてきたと言い、監督としての長いキャリアに期待しての登用でした。
ハリルホジッチ前日本代表監督が解任されて、2018年4月9日より新日本代表監督に就任したことに伴い、4月7日までに日本サッカー協会理事及び技術委員長を辞任しています。
5.日本代表監督
任期は2018年4月9日から2018ロシアワールドカップが終わるまでとなっています。
それ以降は改めて新しい監督が就任する予定となっています。
準備する期間が非常に短いですが、これまでのキャリアを十分に活かして日本代表に元気と勢いと取り戻していただきたいですね!
まとめ
監督のキャリアとしては申し分ありません。ただこの短い間にどれだけ準備できるかは分かりませんが、期待するしかないですね。
ハリルホジッチ前監督が成績不振や選手とのコミュニケーション不足を理由に解任されたわけですから、その体制を維持していてはワールドカップで勝つのは難しいと思います。何か起爆剤を投入するなり、新監督としての腕の見せ所ですね!

皆さんで応援しましょう!