一般的にはモンスターペアレントという言葉が定着していますが、2005年に長野県の丸子実業高校の生徒が自殺した事件では、まさにモンスターというべき母親がクローズアップされました。
このモンスターの正体と大人(親)としてすべきことについて、2つの著書から読み解きたいと思います。
ひとつは、『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(著:福田ますみ)で、著者が様々な取材を通じて実際に起こった事件の全貌を明らかにしたノンフィクションです。
もうひとつは、『モンスターペアレントの正体 クレーマー化する親たち』(著:山脇由貴子)で、児童心理司として活躍する著者がモンスターペアレントの正体を解き明かし、その解決策を提案する内容となっています。
子育てに悩む人、子供とのコミュニケーションに悩む方は一読の価値があると思います。
1.モンスターマザーの概要
写真はイメージです
2005年12月、長野県の丸子実業高等学校(現在は丸子修学館高等学校)のバレー部に所属する高校1年生の生徒が家で自殺した事件をもとに話が展開されます。
この自殺した生徒は、いじめを苦に自殺されたとされ、いじめられたという自筆のメモも残しています。これだけ見れば学校でいじめがあったと誰もが思うでしょう。
マスコミがいじめ自殺だと大々的に報道し、著名なライターが学校側を糾弾する記事を書いたことにより、世間一般は「いじめ自殺」があって、学校側が「隠ぺい」しているお決まりの構造しか目に見えませんでした。
ところが、この事件の裏には世にも恐ろしいモンスターマザーの存在がありました。これが明るみになったのは、遺族側が校長を殺人罪で訴えるという前代未聞の裁判でした。自殺した生徒の母親の常軌を逸した行動が次々と明るみになり、果たして本当にいじめによる自殺だったのか疑わしいところとなったのです。
そして、結局この裁判では遺族側(母親)の主張は認められず、原告敗訴(訴えられた校長側の完全勝利)に終わるのです。
いじめによる自殺は認定されず、いじめ自殺は母親が作り上げた虚構のストーリーだったのです。
この生徒は、中学生の頃に応援で大声を出しすぎたせいで、声に障害ができ、うまく発音ができなくなりました。それを高校のバレー部の先輩にからかわれたこと、また先輩の一人から一回ハンガーで頭を叩かれたということを理由に、不登校になりました。そして、母親とともに病院に行き、「うつ状態」という診断も受けています。
これを理由に、母親による担任教師、バレー部監督、校長などへの謝罪要求や担任交代の要求など、連日その勢いは増すばかりです。
ところが、学校が調査すれど一向にいじめの事実が出てこず、その結果いじめがあったと認定できずにいました。これがまた母親の怒りを助長することとなります。
実はこの母親は、生徒が自殺する前から異常な行動を繰り返しています。
生徒は高校に入学してから、家出を2回しています。1回目は担任教師をはじめ学校の先生方の協力もありすぐ見つかりました。これに対して母親はとても感謝の意を示しています。
一方、2回目の家出は東京まで行っており、母親は一転、担任教師のせいだと激しく罵倒し、ビラを学校側で4,000枚印刷して東京で配るよう要求します。
また、自殺した生徒と仲のよかった生徒が、不登校の理由を聞こうと仲のよかった生徒の家でお泊りをするよう誘います。するとこのお泊りになんと母親まで付いてきたのです。
この辺りから母親の本性が表に姿を現し、モンスターマザーと化していきます。謝罪要求、誹謗中傷、罵倒などなど、攻撃の牙は担任教師やバレー部監督、校長、いじめをしたとされる先輩、その親など関わる人すべてに向けられていきます。
もっとも、この母親の本性は突然降ってわいたものではなく、昔から母親の母親(生徒の祖母)や母親の兄も手に負えないほどの人間性を持った人物でした。また、母親自身が所属するママさんバレーのチームでは度々問題行動を起こして辞めさせられています。離婚歴も2度あり、生徒が自殺した当時はシングルマザーでした。(裁判中に3度目の結婚をしますが、すぐに離婚し慰謝料請求されています)
この家庭環境の一番の被害者は、自殺した生徒だったのです。この生徒には弟もいましたが、弟はほとんど放任されており、自殺した生徒が家事全般をさせられたり、食事も与えられなかったり、母親によるネグレクトがひどい状況でした。近所の人もその状況を把握しており、生徒に声掛けをしたりしています。
生徒も母親が機嫌を損ねないよう気を張る毎日で、母親には逆らえないような主従関係があったようです。そのため、学校へ行きたくないという意思表示も、先輩からいじめられたという主張も、すべて母親にコントロールされていたのです。
生徒は本当は学校に行きたかったということが分かっています。先のお泊りでも、母親がいない隙に友人にそう話しています。いじめをしたとされる先輩とも実はとても仲が良く、声のマネもからかったわけではなく、芸人のネタの物まねをして遊んでいただけだということが分かっています。ハンガーで叩いたことについて先輩は1万円の支払い命令を受けていますが、自殺した生徒だけを叩いたわけではありません。
これらの事実をモンスターマザーは自分の都合で捻じ曲げ、あたかも「いじめ」があったかのように強弁に主張し、謝罪要求、罵倒などを繰り返しています。こうした状況下では、生徒も本当のことが言えなかった、つまり母親には逆らうことができなかったのです。この母親は自分の子供にとってもモンスターマザーだったのです。
自殺の本当の理由は、本人がもういないためはっきり分かりません。しかし、生徒は遺書を残しています。「お母さんがねたので死にます」と書き、生徒は早朝に自殺しています。
この遺書にも多くの疑問が残されており、実は自殺した時間は母親は起きていたことが分かっています。早朝だから寝ているものだと思い込んで書いたとも言えないことはないですが、そもそもそんなこと遺書に残す意味があるのかということがひとつ。もう一つは本当は「お母さんがやだので(嫌だから)死にます」とも読めるということです。この地方の方言で嫌だったことをを「やだかった」「やだから」という言い方をするそうです。そして、生徒は「やだから」というメモをいくつも残しているということです。
生徒の自殺の原因の大半は、この母親にあることは疑いようもありません。(本人は気付いていない、あるいは気付きたくないのかもしれないが)
その原因を他人になすりつけ、執拗な攻撃を繰り返すモンスターに成り下がってしまった。
この事件は、家では実の子供が母親の抑圧により苦しみそして自殺し、外では担任教師や校長あるいはその他の生徒たちがこのモンスターへの対処で肉体的にも精神的にも傷つき疲弊した、このモンスターマザーによって多くの人間が人生を大きく狂わされた事件だったのです。
いったい何がここまで駆り立てるのだろうか。
それは次の章の「モンスターペアレントの正体」で解き明かしたと思います。
2.モンスターペアレントの正体とは
この『モンスターペアレントの正体』では、上記の丸子実業の自殺事件(以下、丸子事件という)を念頭に書かれたと思われる部分が随所にあります。他の事例なのかもしれませんが、そうだとしたらモンスターペアレントというのはどこでも共通しているということなのでしょう。
2-1.モンスターペアレントの種類
著者によると、モンスターペアレントは2種類に分けられます。
1種類目は、
あくまでも「うちの子さえ良ければ」という保護者の延長であるモンスターペアレント。
もう1種類は、
病的なモンスターペアレント。
この境界は難しいが、病的か否かによってその対応が違ってきます。
上記の丸子事件での母親は、まさに病的なモンスターマザーだったのです。
この本には、病的なモンスターペアレントであるか見極めるチェックリストがあるのですが、そのほとんどが丸子実業の自殺事件でみたモンスターマザーと一致します。
分かりやすい例でいえば、
教師に対する感情、評価が突然変わる。「一番信頼している」と言っていた教師のことを、ある日突然嫌悪し、卑下し「最低の教師」だと言い始める。
丸子事件では、生徒の1回目の家出と2回目の家出のときの、母親の担任教師等に対する態度と一致します。1回目の家出のときは教師に対する感謝の意を示して信頼を寄せていましたが、2回目の家出のときは一転、担任教師のせいだと激しく罵倒し、謝罪と担任交代を要求しています。 |
法外な請求
丸子事件では、自殺した生徒の母親(モンスターマザー)は、自殺の原因がいじめでないことをおそらく分かっていながら、県や校長、いじめたとする生徒と親を相手取って、8,329万円(のちに1億3,800万円)の損害賠償請求をしています。 |
苦情が、担任や校長個人に対する誹謗中傷に転化し、誹謗中傷がエスカレートしてゆく。その内容は明らかに事実無根である。
丸子事件では、モンスターマザーは、担任や校長、バレー部監督、いじめたとする生徒・親など関わる人物すべてに対して、誹謗中傷を繰り返します。インターネットを使って、事実無根の内容を流布し、関係者に相当な精神的なダメージを与えています。 |
クレーマーの常套句
「訴えてやる」、「マスコミに言う」、「議員(大臣)を知っている」「弁護士に相談している」など自信に満ちている。
著者によると、大抵はったりであることが多いようですが、丸子事件におけるモンスターマザーはこのすべてを実際にやっています。マスコミをうまく利用し、実名でインタビューを受けたり、県議会議員や弁護士を味方につけています。 |
全部でチェック項目が14項目ありますが、そのすべてにモンスターマザーは当てはまるのです。これが先に述べた丸子実業の自殺事件を念頭に書かれた部分ではないかと思った理由です。
2-2.モンスターペアレントが生まれる原因
さて、こうしたモンスターペアレントはなぜ生まれるのでしょうか。
著者によると、モンスターペアレントが増えてきた原因のひとつは、学校と保護者双方の多忙さを理由とする、学校と保護者のコミュニケーションの減少だとしています。
そして、コミュニケーションの減少によって、学校・教師、保護者は互いに「どうでも良い」存在になっていきます。
どうでも良い存在でありながら、関係性は続いていく、
その関係性は教師の「役割」と保護者の「役割」によってのみつくられる、
その役割には当然役割を果たす「義務」が存在する、
そして義務だけに着目し義務を果たすよう要求する、
という構造がそこにはあります。
要求するのはもちろん保護者側。なぜ保護者側なのか。それは教師は職業として給料をもらっているが、保護者はそうではない、この違いが保護者側が教師に義務を果たすよう強く主張し、義務を怠っていると苦情が言える根拠なのだと述べています。それが「やってもらって当然だ」という考えにつながっていくのです。
そしてこの義務の範囲は、相手にどう思われても良いという気持ちが強ければ強いほど、すなわちどうでも良い存在であればあるほど、権利を主張する側の主観によってどこまでも広げられてしまう。
そう、モンスターになるかどうかはその人の主観によるところが大きいのです。
丸子事件においても、学校と保護者のコミュニケーション不足が見受けられます。学校側が不登校に関して保護者である母親に面会を求めるも、謝罪文を持ってこないと会わないなど話し合いの場すら設けられないことが多々ありました。学校側が不登校の原因をつくったのだから謝罪して当然、担任を交代させるのが当然だという考えがこのモンスターマザーにはありました。学校側(教師)には敵対意識を持っていたのです。 |
2-3.モンスターの正体
どうしてそういった思考回路(主観)になるのだろうか。
根底には、大人の「現在へのおびえと未来への悲観」があると述べています。
格差社会によって「勝ち組」「負け組」に分かれ、自分のことを負け組だと感じている親は、せめて自分の子供だけにはそんな苦労はさせたくない、させまいとして子供たちを追い立てます。親も疲弊しきっている中、同時に子供の将来を願い努力している。自分以外は誰もが自分よりも幸せで楽をしているという思い込みが心を支配するようになる。そうして心に余裕がなくなるのです。
結果として親は常にフラストレーションを抱えるようになります。教師に対しては、自分の子供だけは特別扱いしろといった歪んだ要求へと変貌し、要求が通らないと激しい怒りとして爆発するのです。
結局のところ、モンスターの正体は『保護者の被害意識』だと述べています。
モンスターは保護者なのではない。大人たちの心身の疲労、自分が不幸であるという嘆き、そして未来への悲観、そしておのおのが抱えている被害意識がモンスターを創造してしまっているのだ
丸子事件に当てはめてみると、母親は事件前に2度の離婚を経験しており、2度目の離婚の際には元夫からDVなどを理由に慰謝料請求をされています。家庭がうまくいっていないのは明らかでした。この母親が子供の将来を案じていたかどうかは分かりませんが、母親自身のフラストレーションを自分の子供や教師(学校側)に向けて攻撃をしています。自殺した生徒にとっても、学校側にとってもモンスターだったのです。 |
2-4.モンスターを生み出さないために
モンスターペアレントを生み出さないために、学校側としてすべきこと、家庭ですべきことが書かれていますが、私は学校関係者ではないので、ここでは家庭ですべきことに絞ってまとめたいと思います。
モンスターペアレントを生み出す背景には、家庭内のコミュニケーションが減少があり、要求と文句だけの会話になってしまっているということがあげられると述べています。「家族なんだから分かってくれるはず」、「言わなくても分かるだろう」といった暗黙の期待があり、この期待が答えてくれないときの落胆は大きい。しかし、相手からしてみれば「言ってくれなきゃ分からない」のです。
また、親と子のコミュニケーションに焦点を当ててみると、「子供はどんなに幼くても、自分を個として扱ってほしいと望んでいる。」この気持ちを親が尊重してあげることが、親子間の信頼関係を維持するために必要なのです。
この点、丸子事件では母親は子供を個として扱っていません。母親の支配下において、自分の思うようにコントロールしていたのです。本当は学校へ行きたいのに行かせてもらえない、いじめられていないのにいじめられたことにさせられるなど、とにかく子供は自分の意思を尊重させてもらえませんでした。 |
その上で、2種類のコミュニケーションをつくることを提唱しています。
ひとつは、「楽しい会話」の時間です。子供は楽しくなければ話をしないので、「楽しい」と思いながら話せる時間をつくることが大切。この楽しい会話の時間の中では、指示や禁止、説教はしない。
そしてもうひとつ、子供に対して指示や禁止や説教をする時間は別につくるということです。叱るときは「子供なんだから」、「子供のくせに」という言葉は使わない。叱っている理由や、禁止・制限の理由は明確に伝える必要がある。
特に子供とのコミュニケーションは丁寧に行う必要があります。
夫婦間であっても、親子間であっても、感情を伝え、分かってもらうといいうことは互いが互いに大事な存在であり続けるためには重要で、著者はこの関係を、「形容詞を共有できる関係」と呼んでいます。すなわち、「嬉しいね」、「楽しいね」、「悲しいね」など、互いが相手の気持ちを尊重し、共有できる関係のことです。
大人(親)としてどうあるべきか。
人生を「勝ち負け」で判断するのはやめるべきである。人生は幸せか幸せでないか、ではないか。幸せだと感じるときは、絶対的に「愛されている」、「必要とされている」、「大事に思われている」と感じるときだと著者は述べています。
人間の心には、愛情で満たされるべき器があり、愛情以外ではその器は一杯にならない。そしてその器から溢れた分だけが、人に対する愛情となるのだと。
すなわち、大人になった後も、周囲の人から、友人から、同僚から、家族からの愛を感じられることのよって器が溢れ続け、その分が家族や周囲の人みんなへの優しさや思いやりという愛情として向けることができるということです。
そのために親は、子供や学校・教師に対してまずは求めるのではなく、相手に対する思いやりを持たなくてはなりません。
また、親としてはシンプルに、大人であること、親であること、親子であることを「楽しむ」ということを優先してよい。楽しいことは探すのではなく、来るのを待つのではなく、自分でつくっていくのであると述べています。
楽しい思いをたくさん抱えた子供は、愛されたという思いもたくさん抱えるはずで、心は必ず健康に育つ。心が健康に育てば、挫折した時も乗り越えられるし、成し遂げられないことに対する努力もできる。
最後に、大人の責任として、大人が元気でいることが大切である。「子は親の鏡」というように、子供は親から多大な影響をうけます。子供が「お父さんみたいになりたい」、「お母さんみたいになりたい」と思えるような元気で幸せな姿を見せていくことが、自然と子供自身が将来の幸せに向かって努力していくことにつながります。親が追い立てるのではなく。
それぞれが楽しく、幸せだと感じていられれば、他者を攻撃する必要性もなくなり、必然的にモンスターは消えていくに違いないと締めくくっています。
3.最後に
私の子供は今年から小学校1年生ですが、特にいじめを受けているわけでもなく、自分がモンスターペアレントであるわけでもなく、また周囲にモンスターを見かけたわけでもありません。
たまたまモンスターマザーの記事をネットで見て気になったため、図書館に借りに行ったところ、たまたまあった「モンスターペアレントの正体」というタイトルが気になったため、両方借りてきたというわけです。
このモンスターペアレントによって、あらゆる人が追いつめられ人生が狂わされるという事実を知るとともに、モンスターの正体を知り、モンスターを生み出さないために大人(親)としてすべきことのヒントを得ることができました。
子育てに悩んでいる方、子供とどう接したらよいか悩んでいる方は、「モンスターペアレントの正体」(著:山脇由貴子)を一度読んでみるとよいと思います。併せて、「モンスターマザー」(著:福田ますみ)も読むと一層臨場感が増して理解が深まるかと思います。