加藤栄三・東一記念美術館は岐阜市出身の画家、加藤栄三・東一兄弟の偉業をたたえ、1991年に開館した小さな美術館です。1994年に岐阜市に移管され、岐阜市歴史博物館の分館という位置付けになっています。
岐阜公園内にありますので、散歩ついでに立ち寄ったり、ロープウェーの待ち時間にサクっと観賞したりすることができます。
美術品を鑑賞するには、事前に画家本人の経歴などの情報を知っていた方が楽しめると思いますので、加藤栄三画伯、東一画伯について簡単に触れ、加藤栄三・東一記念美術館の料金、アクセス、展示物等について写真付でご紹介します。
1.加藤栄三・東一画伯について
加藤栄三(兄)
明治39年(1906年)に岐阜市美殿町で生まれ、岐阜商業学校を経て、20歳で東京美術学校日本画科に入学。
昭和4年(1929年)、23歳のときに、第10回帝展で「夏日小景」が初入選。25歳で卒業後も順調に才能を開花させ、30歳のときに、新文展に出品した「薄暮」で第一回文部大臣賞、33歳のときに第3回新文展で「月夜」が特選を受賞しました。
しかし、昭和20年(1945年)39歳のときに、岐阜空襲で多くの作品を焼失しました。
戦後の昭和27年(1952年)46歳のときに、第8回日展で初めて審査員となり以降歴任します。
昭和31年(1956年)50歳のときに第12回日展に出品した「篝火」を期に、長良川の鵜飼を本格的に取材し、鵜飼に関する数多くの作品を描くようになります。
昭和44年(1969年)63歳のときに日展理事となり、昭和47年(1972年)で亡くなりました。
加藤東一(弟)
大正5年(1916年)に岐阜市美殿町で生まれ、岐阜中学校を経て、25歳で兄栄三と同じ東京美術学校日本画科に入学。
昭和22年(1947年)31歳のときに卒業し、同年第3回日展で初入選以来、連続入選を繰り返し、昭和27年(1952年)36歳のときに、第8回日展で「草原」が特選を受賞しました。
昭和45年(1970年)54歳のときには内閣総理大臣賞を受賞するなど、数々の栄誉に輝きました。
その作画態度も多くの画家の模範となり、全国的に高い評価を受けていました。
昭和59年(1984年)に芸術院会員、昭和62年(1987年)に日展事務局長、平成元年(1989年)73歳のときには日展理事長など要職を歴任しました。
平成3年(1991年)に第1回岐阜市民栄誉賞を受賞し、平成8年(1996年)には岐阜市栄誉市民となり、同年に亡くなりました。
2.加藤栄三・東一記念美術館の料金、アクセス、展示物等
加藤栄三・東一記念美術館の概要
料金 | 大人(高校生含む) 300円 小人(小・中学生) 150円 ただし、以下の方は無料 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、年末年始(12/28~1/3) |
アクセス | 岐阜市大宮町1丁目46番地(岐阜公園内金華山ロープウェー山麓駅前) |
TEL | 058-264-6410 |
館内の案内図
美術館内は、第1展示室と第2展示室があります。どちらから先に観覧しても構いません。
加藤栄三・東一記念美術館HPより引用
展示物
第1展示室では、加藤栄三・東一画伯の作品を多く展示しています。
期間ごとにテーマが変わるため、加藤栄三・東一記念美術館のHPでチェックしておきましょう。
私が行ったときは、「鵜飼に魅せられて」というテーマの作品群でした。鵜飼の作品は人気が高いそうです。
第2展示室では、岐阜市に関わりがある画家の作品など、加藤栄三・東一画伯以外の画家の作品が展示されています。これもホームページでチェックしてみてください。
私が行ったときは、「石川響」という画家の作品が展示されていました。この方は、加藤栄三画伯に師事された方だそうです。
所要時間
非常にこじんまりした美術館なので、15分くらいあれば観て回れます。私が行ったときは、客が私以外誰もいませんでした。ゆっくり鑑賞するにはいいかもしれませんね。
絵はがき
加藤栄三・東一兄弟の日本画が描かれた絵はがきも1枚50円で販売されています。
まとめ
なかなか興味がないと行く機会はないかもしれませんが、日本を代表する岐阜市出身の兄弟画家の作品なので、気になる方は中学生以下の子供を連れて第3日曜の家庭の日(無料)に一度足を運んでみるといいと思います。子供はつまらないかもしれませんが、もしかしたら芸術に目覚めるかもしれません(笑)
➡他にも家庭の日(第3日曜)で無料になる岐阜市の施設をまとめました。